専門性や特技があるからこそ人助けが出来る

今日、会社の同僚から、『英語について教えてほしい』というメールを貰いました。よく読んでみると英語の論文を書いているみたいで、その文章が上手くかけないので書いて欲しい、ということのようでした。

幸いにも内容が自分の専門分野と一致する内容でしたので、3行程の文章をほんの1〜2分で適当に書いて返信しました。まあ英語の上手い下手や専門性の有り無しにあまり関係しない文章ではあったので、たぶん自分の書いた文章でも問題はない(それほど間違っていない)とは思っています。

という、自分にとって非常に簡単な作業ではあったのですが、その同僚にはとても感謝されました。本人曰く英語が苦手とのことだったので、(彼は優秀なので時間をかければきっと良い文章を書くとは思いますが)彼の時間の有効活用に少しは貢献できたのだと思います。

人助けをすることはとても気持ちが良いですね。特に、自分にとってたいしたことのない当たり前の事が誰かにとって価値を持つのであれば、それは自分にとって非常に『割のいい人助け』になります。もしそういう専門性などを活かした人助けが出来るのであれば、どんどんしていきたいと思っています。

と、ここまで書いていて思ったのですが、受け手に価値を提供する事ができ、かつ自分にとって持続可能な人助けとは、今回のような専門性や特技に基づいたものが一つの方法になると思います。もちろん、困った人がいればどんな時でも誰に対しても助けてあげたいと思うのが本当なのだと思います。しかし自分の時間もリソースも有限なので、それでは現実的に体も持たないし時間も作れません。ですので、ある基準でどこで人助けをしたら良いかを考え判断する、というのが現実的なのだと思います。その場合、今回のように自分の専門分野や得意分野に近ければ近いほど『割の良い人助け』が出来るわけですから、そういう機会は多くの人を効果的に助けることが出来るから外せないですね。逆に考えるなら、多くの人を効果的に助けたと思うのなら、自分の専門分野や得意分野をもっと高めていけば良いのだと思います。

と考えると、自分が最も価値を産みうる分野(=自分の専門分野)において、最も困っている人を助けること(=価値提供可能なお客様を探すこと)が、実はもっとも効率および効果の高い人助けに繋がるんじゃないだろうか、と思ったわけです。つまり、自分の場合、一生懸命にまじめに仕事をすること、これが本当の人助けに繋がるんじゃないだろうかと思いました。(だからといってワーカホリックを肯定するわけではないのですが)そう考えると仕事に対してとてもやる気が湧いてきました。また明日から頑張ります!


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