#251 モノを持つことの哲学!

「モノをもつ」ということに対して自分のルールがあります。(哲学というほどタイソウなことではありませんが。)

それは『本当に気に入ったものを、大切に長く使う』ということです。

何故このような考え方を持つようになったのか、よく思い出せないません。なので、改めて考えて見ることにしました。

大切に使うことが正しい、という価値観を持っているから、というのが一番大きな理由だと思います。これは「戦後すぐ」生まれの両親や大正生まれの祖父母の影響があるのかもしれません。そもそもモノが無い時代の人達から、モノを大切にするようにという刷り込みを受けてきているからだと思います。

その結果、大切に使うことが好きになった、修理したり、磨いたり、愛着をもってモノを扱うことが好きになった、というのが、現状なのだと思います。

もちろん、(経済学でいう)合理性の観点からみれば、買ったほうが安い、という場合もあるでしょう。そしてそのような行動を取ることもあります。

ですが、大量生産大量消費、という考え方に、なんとなく抵抗感があるように思います。上記のとおり、もちろん自分も大量生産大量消費社会の恩恵を受けており、そのこと自体を否定するつもりは毛頭ないのですが、その考え方を手放しで受け入れることはできません。

なんでそう思うか?・・・よくわかりません。単なる刷り込み?

ですが、ひとつ思いつくことは、自分が本当に好きなものに囲まれて暮らせるのはきっと幸せなのだと思うから、です。そして、モノに思い出などが紐付いている場合は、モノ自体に普遍的な価値があるとは全くいえなくても、大切にしている人にとってはかけがえのない価値があるのかもしれません。

モノを大切に使う結果、(経済学でいう)合理性だけでは測れない価値を生み出しているのだ、と考えると、まぁなんかそんな気もしないでもない?それをマスターカードはプライスレスと呼ぶ??

しかし、まぁ、いろいろと考えててみると、上記と矛盾する行動をとっていることはたくさんある様に思います。たとえば、本当に必要かどうか分からないものを、アウトレットストアにて安いから・お得だから、という理由で買ってしまうこと、とか、修理をせずにモノをつかっていること、とか。

ありたい自分であるために、そのへんの一貫性を意識してい見たいと思っています。


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