人を非難しないということ #1153

会社で仕事をしていたら、色々と怒りを感じてしまうこともあります。そしてその怒りを当事者にぶつけたくなることもあります。また本人の成長のためにも、問題点を伝えてあげたほうがいいかな、と思うこともあります。しかし大抵の場合、人を非難したところで、反発されて相手に悪印象を与えるだけで、結局は言っただけ損をするということを何度も経験します。

確かに人を非難することで自分の心は晴れるでしょう。ですが得られるのはたったそれだけのことで、その他に何も生まないことは理解しておくべきなのかもしれません。もちろん徳のある方は別として、自分のような未熟な人間だと、非難されたところで自己弁護して内に閉じこもるだけです。

自分が非難された場合を思い返しても、色々な言い訳を考え、非難をかわそうとしていることに気付きます。『忙しかったから、周りが悪いから、状況が悪いから、調子が悪いから、自分が悪いんじゃなくて、仕方がなかったんです』、みたいな理由を探し始め自分を正当化していることに気付きます。実際は、全部ひっくるめてお前が悪いんじゃい!ってのが本当のところなのですが、そのように自分の非を認めないような心理になっている状況で何を言ったところで、何の解決にもなりません。

自分が他人を非難する時には、人間は合理的な存在であるという期待をしているように思います。しかし実際は、人間はいつも合理的な存在であるわけでは決してなく、感情の動物という側面があるといという理解をしておいても良いのではないのでしょうか。だから、人を非難しても、かみ合わないのだと思います。そういう人間観 (=OS)をもって人に接することが出来れば、もっと他人の失敗を許し、他人と上手く協力できることがあると思います。

カーネギーの『人を動かす』の第一章『盗人にも五分の理を認める』にもある通り、『批判も非難もしない。苦情も言わない』というのが良いのでしょうね。批判をしたくなったら、相手が何故そのようなことをしているか理解するように努めたいと思います。他人を非難して行動を改めようとするより、そのほうがよっぽど合理的で、自分が望む環境を手に入れることが出来るのですから。

自分をよく知る人(特に会社の同僚)がこの文章を見たら、日頃の自分の姿とのギャップにきっと大笑いすることでしょう。一日中キレまくって、暇さえあれば常に誰かにケンカをふっかけているワケですから(汗)。ですが上記で書いた観点から振り返ってみると、この行動は計画的に敵を作り出していることと同義で、本当に愚かなことです。。。

確かに、新しいことをやりたいとか、現状を変えたいとか、人と違うことをやろうとすれば、色々な軋轢が生じて、結果として怒りを生じることもあります。ですが、それを外に出して人にぶつけることなく、自分のなかで上手く消し去り、結果として自分が望むような環境を作り出していきたいと思います!

 


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