今日の出会いの数だけ学びの機会がある #1162

今日も色々な事がありました。親切にしてもらったり邪険に扱われたり、親身に話を聞いてもらったり上の空で話を流されたり、順番を譲ってもらったり順番抜かしをされたり、と良いことも悪いことも色々です。こうやって思い返してみて不思議なのは、自分が今日やったことは殆ど印象にないのに、自分がやられたことだけがはっきりと思い返されることです。

自分のことは当然ながら自分には見えませんし、自分が言ったことに対して相手がどう思ったかは通常は自分には分かりません。そのため自分が今日行ってきたことが適切だったのかどうかの判断は自分の自己評価に任せるしかなく、つい甘めに評価しているのでしょうね。

だから自分の行動を振り返って学べることは意外と少ないものだと思います。もちろん他人から注意をしてもらったり、クレームを言われたりすると、その時点で大きな学びを得ることが出来ます。しかし、皆さん大人ですから(自分が逆恨みされるリスクを抱えた上で)本音を言ってくれることは非常に稀で、通常は黙って見ぬふりをするのだと思います。

となると、自分にとって最も大きな学びの機会は出会った人たちから与えられるのだと思います。その方たちが自分に与えた印象がどのような行動に紐付いているかを考え、それを自分が行いたいか行いたくないかを考えてみれば良いだけです。

幾つか例を挙げると、例えば自分のプレゼンに対して真剣に聞いているような態度を示し、質疑応答でも興味や関心を示してくれた同僚に対しては感謝の気持ちが生まれました。一方でプレゼン中は全く話を聞いていなかったのに質疑で偉そうな質問をされた事に対しては、(実際の質問された方は偉い方なのですが)非常に強い反感を抱きました。

また、忙しい時間帯に来て自分都合の説明をだらだらとされることに対しては怒りを覚えました。一方で、しっかりした事前準備により要点をまとめてそれを手短に説明していただけたことに対しては感謝の気持ちを抱きました。

他にも、話を途中で遮られて自分の説明を頭から否定されると、否定されたことに対して腹を立て本来のポイントでは無いところで反発してしまいました。一方で、発言に感謝や理解を示した上で、論点の違いを明確にしそれを理解しようとされる姿勢を見せられると、自分の意見に固執せずにより良い結論を求めたいという素直な気持ちになれました。

このように学びの素材は出会った人の数だけあり、それに対して毎日いろいろな感情を抱きますが、それを単に嬉しかったとかムカついたとかで終わらせるのは誰にでも出来ることです。そうではなくて、じゃあ自分は同じような行動を取るべきなのかどうかを考え、明日からの行動に落としていかないと進歩が無いですよ。その貴重な学びの機会を生かせるような振り返りが必要ですね。言うは易し、ってやつなのは十分承知していますが。。。(汗)

 

 


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