『○○のふり』の勘違い力を自己実現の力にする #1181

人生山あり谷ありですので、山の部分つまり心地良く感じられる時もあれば、反対に谷の部分で辛いと感じられるような状況に出くわすこともあります。だけど今の状況がどうかに関係なく、常に自分らしく(=自分がありたいと思う理想の状態で)いたいと思っています。

だからどんな状況であっても自分は元気なフリをしています。一見すると追い詰められているような状況においてさえ、平気で元気なふりをしています(カラ元気が痛々しいと周囲には笑われていますが)。そうすると不思議なもので、元気が出てくるような気がします。恥ずかしげもなく『○○のふり』をしたり、『○○であると思い込ませる』勘違い力は自分の強みだと思っています。

自分は『人は思い込みの生き物だ』と思っているので、この際に根拠なんてなくても良いに決まっています。例えば温泉なんか(少なくとも自分にとっては)思い込みの良い例だと思います。自分は『温泉評論家』でもなんでもないので詳細は分かりませんが、温泉の成分なんて入浴剤と殆ど変わらないのではないかと思っています(科学的には単なる無機塩ですし)。しかしそうは思いつつも温泉に入っていると心身ともにリフレッシュ出来たと感じるのは、『温泉』という言葉に紐付いた様々な感情、たとえば健康・癒やし・体調改善・美肌 (笑) を意識するからだと思います。多分、(自分の場合は)温泉の湯を水道水+入浴剤に入れ替えても気付くことはなく、温泉の湯と同じような満足度を感じるのでしょうし、反対に温泉の湯を汲んできて、自宅の風呂で入ったとしても同じく気付くことはなく温泉の効果を実感することは無いでしょう。

そのようにもし根拠が無くても思い込んでいいのであれば、自分にとって都合の良いことを思い込んだ者勝ちだでしょうね。自分が生きている(=朝起きてから寝るまでの)時間の中で、自分の頭の中にどのような言葉を回し続けることが出来るかが、その人のパフォーマンスや成長を決めると思っています。仕事や自分の目標達成においても同じように『元気が出た』『体調が良い』『目標に近づけている』『仕事や論文が楽しい』などなど、自分にとって都合の良い思い込みをした方が良いに決まっています。反対にネガティブなことを思ってそれが自己達成予言になってしまったら目も当てられません。実際のところ、この力は非常に強力で、自分自身が良くも悪くも様々な思い込みや自己暗示に引っ張られていることを感じます。

この力をプラスに利用するには、自分の可能性に無理に蓋をすることなく、自分がありたい姿をもっともっとストレッチして夢を語ってもいいのではないかとも思っています。ただ温泉の例とちょっと違うのは、自分では気付かずに思い込まされるか、思い込みだと分かった上でも敢えて自分で思い込むかの違いだけです。多くの場合、ストレッチした姿を分かった上で思い込ませることは恥ずかしい事とされているのかもしれませんが、そのへんの羞恥心が少ないのが自分の特徴なのかもしれないですね (笑)、良いことなのか悪いことなのかはわかりませんが。そんなことをボケーと考えています。


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