廃棄を決断するところから成長は始まる #1187

最近あらため感じるのですが、自分はうんざりするほどに凡人です。ですので、人と同じ事をやっていては『その他大勢』として認知されるくらいの結果しか残せないのだと思います。それで良いのかどうかは個々人の価値観に依るものだと思うのですが、自分としては人と違う存在として認知されたいと思っています。凡人のくせに生意気ですが。。。

それを実現するためには他人とは違う戦略をとった上で、他人以上に努力をする、これしかないと思っています。『他人以上に努力』ってどの程度かと問われれば、人がやらないレベルで圧倒的に努力することだと思うのですが、そのためにはそれを可能にするリソースを生み出すことが必要なのではないかと思います。

それには何にも増して時間が足りません。今でさえやりたい事が沢山あるのに殆ど手を付けられていない状態です。この原因は自分の無能さでもあるのですが、それ以上に何をやって何をやらないかの戦略の部分の問題のミスで、ここが明確に線引が出来ていないということが大きな問題なのだと思います。

では時間を生み出すには何が必要かといえば、『ダラダラと過ごしている時間』がなくもないのですが、それだけではまかないきれません。となると、今やっていることを捨ててでも時間を生み出さなくてはならないのでしょう。これはとても大変なことです。自分が今行っていることはどれも愛着があり、必要だと思っているからやっていることです。ですので、これらを切り捨てることは非常に大きな傷みさえ伴うのだと思います。またそれは他人が当たり前にやっていることを捨てて人と違う道を進むことになり、リスクも伴います。しかしそれでも、自分が凡人である以上、痛みもリスクも覚悟の上で、活動していくしか他人とは異なる存在になることは出来ないことは分かっています。であれば、あとはバランスの問題であって、痛みやリスクを感じてでも『他人とは異なる存在』に心引かれるかどうかという問いを立てれば良いのだと思います。

この痛みやリスクに対する恐れを感じてもなお目指したい姿が最近なんとなくですが見えつつあります。その姿を実現するためには、今と同じ行動では絶対に達成できないと感じています。その絶望感やあるべき姿へのあこがれとか、そのバランスを考えてみると答えは自ずから出てきそうですね。選択と集中が必要と戦略論では言われますが、これは何を捨てて何をやるかの、廃棄と決断だと思います。廃棄することを恐れずにまずはどんどん切っていくことから始めたいと思います。


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