子供の頃と違い、大人になると自分の裁量が広がるため、ある程度までは行動のパターンや属する場を自分で選択することが可能になります。そうすると自分にとって居心地が良い場を選択しがちです。なぜ居心地が良いかといえば、自分と同質、軋轢が少ない、焦りを生じないような場であるからだと思います。しかし居心地が良い場は裏返すとぬるま湯だとも言えます。もちろんたまには良いのかも知れませんが、ずっとぬるま湯に浸かっていれば自分の成長はありません。
一方で、自分にとっての新しい世界、自分とは全く異質の世界、自分よりも遥かに能力が高い方が集まる場などは、非常に居心地の悪い場になると思います。しかし人間の能力は素晴らしいもので、どんなすごい環境にいたとしてもそのうち慣れてくるから不思議です。上記のような自分にとっての居心地の悪い場に対しても、そのうちに慣れてくるのだと思います。その時に起こることは、自分の目線(常識、基準)がその場まで引き上げられるということだと思います。
これが自分の内面の変化であり、この時に感じる希望、憧れが正のエネルギーとして、劣等感、悔しさ、絶望感などが『黒い』エネルギーとして、自分を目標に向けた行動へと突き動かしてくれるのだと思いますし、それが外面の変化へと繋がると信じています。
子供の頃は親や先生が自分にとって居心地の悪い場を頃合いを見計らって定期的に提供してくれていたのですが、前述の通り、大人は自分でその場とタイミングを設定できます。なので、自分としては『出来るようになったら上の世界(居心地の悪い世界)に飛び込もう』と考えがちす。しかしそれが許されるのは、仕事のデキるエリートの人だけ。自分のような雑草人間は、いまでたっても『デキる』ようにはならないため、ずーっとプールサイドでストレッチを繰り返しているように思います。
自分のような『デキない』人間には『泳ぎ方も知らないまま無理な場に飛び込み、溺れまいともがいているうちに何とか泳げるようになる』というスタイルがいいのだと思いますし、思い返してみればこれまでずっとそのスタイルでやって来ました。わかり易い例で言えば、全く英語もデキないのにアメリカに行って仕事をしてきましたし、10年以上のペーパードライバーだったのにアメリカのハイウェイで運転を覚えてきました(死なないで良かったです笑、向こうの警察にはずいぶん怒られましたが)。
最近、自分の内に閉じこもってばかりいた自分ですが、ご迷惑をおかけしない範囲内でどんどん居心地の悪い場に飛び込むべきだと思います。実は、6月と7月に最高に自分にとって居心地の悪い場が控えています (汗)。まあ、皆様にご迷惑をおかけせず、かつ自分が死ななければ、結果はどうなっても良いと思っていますので、失敗を恐れずに頑張ってもがいてきたいと思います!