#239 環視の目をふやす!

自分には長期的に目指している姿があります。ですが、その姿に対する思いは弱くなる時もあり、ついつい目標に向けた歩みを止めてしまいそになることがあります。

そんな自分に効果があるのが、衆人環視のシステムです。今更ながら、本当によく効きますね。ほとんどサボれないです。

有言実行の力というか、認知的不協和を修正しようとする意思の力というか、そのような力が働き、サボりそうになる時に自分のスイッチになってくれています。

課題の達成に向けて、会社でも衆人環視のシステムで自分を縛りまくっているのですが、監視してもらっている後輩からすると、監視され放題の自分の姿を見ると、非常にきつそうに見えるようです。

そのように言われて気付いたのですが、実際はそんなにキツくはないんですよね~。習慣化のなせる技というのでしょうか?(それとも、単に衆人環視されることに慣れてきた?)

実際に自分を分析してみると、辛いのは作業そのものより、やりたくないのにやらなくてはいけない、でもやりたくない、(以下繰り返し)、でダラダラと過ぎていく時間とその事に対する罪悪感です。であれば、その辛さをすっ飛ばしてくれる衆人環視は本当に有り難いです。

考えてみると、環視の眼がなければ、サボるかサボらないか?の判断を常に迫られ、そしてそのたびに常に自分で自分を鼓舞することになります。しかし、環視の眼があれば、もうやるしか無いということで、変に迷う必要がない。自動操縦といった形で淡々と作業に取り掛かります。

最近は、衆人環視の目を更に強めるために、作業と進捗を報告するだけではなく、目標の期限も公言してどんどん自分の退路を絶っています。確かに、これも慣れるまでキツイですが、長い目で人生を考えたとき圧倒的に自分の望みの方向に人生をコントロールしているように思え、公言してよかったと心から思います。

もっともっと自分が望む自分像に近づけるよう環視の目を強めていただき、その中で自分を律していきたいと思います!


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