言葉のインストールの質を高めるために

引き続き、休暇中です。仕事から離れて、かつ時差ボケで眠れない状態で一人自由な時間を過ごしていると、色々な考えが頭に浮かんできます。そんな中で、ふと自分が不安になったのは、自分は日々成長できているのか、ということです。

小さい頃は日を追うごとに身体が大きくなるのは当たり前であり、『時間を経るごとに成長する』というのは身体的成長以外にも当然あてはまると信じていました。しかし、年をとるにつれて、新しい学びや刺激も相対的に少なくなり、毎日成長した、という実感を得ることはなかなか難しくなっているのではないかと思います。

努力と成果が比例関係であれば良いのですが、なかなかそうはいきません。これは決してサボっているからというだけの理由ではなく、努力と成果の関係は飽和曲線のようになっているからだと思います。アウトプットが出ていないうちはアウトプットはインプットにほぼ比例しますが、高いアウトプットを求めようとすればするほどインプットの効率は悪くなっていきます。学びも同じような飽和曲線のようになっており、勉強すればするほどにプラスアルファの成果が出しにくくなってくるのでしょうね。

自分が十分に勉強が出来ているとは決して思っていませんが、それでも色々なことを勉強してくると大体は聞いたことのある話が多くなってきたという印象も持っています。(ここ数日同じことを書いていますが)しかしそうなった時に『単に知っている』という状態から無意識で使えるまでに引き上げるため、インプットの精度を高めていかないと駄目なのでしょう。

その意味で昨日、読書はざっくりと概念を学ぶのではなく『言葉をインストールする』つもりで読むべきだという鮒谷周史さんの言葉を使って表現しましたが、まさに自分によく刺さりかつ必要な場面ですぐに取り出せる状態の言葉が必要になるのだと思います。だから何冊本を読んだかよりも自分に刺さる言葉をどれだけ高い精度で何個インストールできたかという事が大切だと思います。最近、勉強をしてもイマイチ成果につながらないと感じているのは、『言葉をインストール』という意識をもって勉強しないと成果が飽和してしてきているステージに入っているのではないかと思います。

そういえば昔、本田直之さんのレバレッジリーディングを参考にして読書メモを作り、それを何度も読み返していた時期がありました。その時に読んだ本は自分にとってそれほど重要な本でもなかったとは思うのですが、それでも毎日寝る前に繰り返し読んだメモの言葉は自分の意識に深く刻まれているように思います。このように、読書や講演などのインプットの復習はもちろんですが、それ以外にもこのブログでの再咀嚼、さらに読書メモでの反芻、さらに必要に応じて写経(そのためのマイ万年筆、買います!)を通じて、『言葉のインストール』の質を高めていきたいと思います!


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