時計をし忘れるようになって感じた怖さ

自分にはお気に入りの腕時計があります。自分が起きている時間は、ほぼずっとこの時計をつけています。時計は、自分にとってもっとも大切なリソースである時間を最大限上手に使うための重要なツールだから、常に付けておきたいと思っています。

朝、シャワーを浴びて会社用の服に着替え、社員証をつけ、時計をつけ、手帳を広げ、アウトルックでその日の予定を確認する、と言うのが自分の毎朝の儀式になっており、これをすると「よし、仕事だ!」とスイッチが入ります。ですので、時計をつけていないとなんだか気持ち悪く感じます。そのような象徴的な意味合いに加えて、腕時計により時間が瞬時に分かると言うのは、時間を上手に使うという実務からも意味のあることだと思っています。

と、これだけ書いたのですが、ここ最近、腕時計をせずに行動していることが増えてきました。それに伴い、時間の使い方に失敗して後悔してしまう事も何度かありました。この様な状況になってしまっている大きな原因は、腕時計をつけ忘れていても「気持ち悪い」とか「不安だ」という状態ではなくなってしまったことだと思います。

もっと言えば(自分としてはありえない状態なんですが)、時計をしていなくても「気持ち悪くない状態」が習慣化してしまったことが原因だと思っています。それまでは数年以上に渡り、腕時計をしているのが当たり前だったのに、いつの間にか付けない状態が当たり前に変わってしまっていました。このように一度身に付けた経験が、一瞬の間に失われてしまうことには大きな怖さを感じます。というのは、(特に良い)習慣というのは、一旦に付けると自分にとって大きな財産になるものだけど、身に付けるのはとても大変だからです。

腕時計に関してだけ言えば、家では時計をつけないことが多いため、特に長期の休み明けにいざ仕事になっても腕時計を付け忘れてしまうことがたまにあります。それが習慣化が途絶えてしまう原因になっているのであれば、それを防ぐ意味だけでも、家でも腕時計をつけて、自分が常に時計をしている状態を作ってしまったほうが良いのかもしれません。そもそも、家で時計をしないのは特に理由があるわけではなく単なる習慣です(むしろ時計をつけないから家で時間を無駄にしてしまいがちなのかもしれません汗)。ということで、腕時計に限らずに、良い習慣を途切れさせてしまうことのないよう、意識して生活の中での決め事を作っていきたいと思います。頑張ります。。。(汗)


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