大人には見せれない姿があるのが普通なんだ

最近ある友人が体の調子を悪くしてるという事を知り、少し心配しています。とてもイイ奴なんですが、元々はそれほど人付き合いも良い方ではないので、「最近は、めっきり連絡も減ってけしからんヤツだ!」といった話を友人の間では冗談半分に話していました。しかし実際のところは、長いこと体調崩してるみたいで、なかなかその事と外にも言えないでいたようだとの事です。

これを聞いたとき、自分は何も知らなかったとはいえ、自分たちの配慮の足りない発言を反省しました。自分も(外見だけは)大人になってから随分経つのですが、大人になれば自分の全てを他人とは共有できるものではありません。家族のこと、体調のこと、仕事のこと、それ以外のこと、などなど、良くも悪くも、皆とは共有しない(共有することができない)のは、当たり前のことです。恵まれた環境にいて、何不自由ない自分だって、よく考えてみれば、万人とは(恥ずかしくて??笑)共有できない弱みもあります。なんでも見ていないと見せていないと気がすまなかった子供の頃とは違い、大人なんて、そんなものなのでしょう。

だから、他人と接する時には、他人が見せる一面だけを見て、その人の全てを見た気になってるのは本当に論外です。もちろん他人が見せないところを気遣うことはなかなか出来ないのですが、それでも相手を慮って接することが出来るようにはなりたいと思いました。そういう、他者に対する配慮や気遣いが出来るようになることが、本当の意味で大人になるってことなのかもしれません。

そのためには、まず自分の見ている相手の姿が全てではないこと、全てを見せることができないことを前提として、その上で相手を気遣い、慮ることことができるようになれば良いのかな、なんて思ってます。(自分の事をよく知る友人ならば、「お前、全然できとらんやんけ!!」て話になるのですが)少しでも理想に近づけるよう、精進したいと思います (汗)。頑張ります!!!


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