基礎研究の困難さとその価値

大隅先生のノーベル賞受賞が、大変に話題となってます。日本人として、そして(おこがましいですが汗)研究者の端くれとして、誇らしく、嬉しく思っています。 テレビ 、新聞、インターネット、その他いろいろなところで先生の研究業績である『オートファジー』について解説されています。オートファジーは、疾患との関わりも報告があり、多くの製薬会社でも興味を持って研究されています(なので、自分もどんなものかは何となく分かってるつもりです)。

最近のメディアの説明を見ると、研究成果を非常にシンプルにうまく説明していると思います。特に「出産後の赤ちゃん」や「遭難した場合」など栄養飢餓の状態を乗り越える際のオートファジーの役割なんて、説明が非常に上手だと思います。 あまりにも上手に説明出来るので、自分の周り研究に関わらない人たちでも「こういうのだったら、多分自分でも思いつけるし、ノーベル賞が取れる!」みたいな冗談を言っているくらいです。

まぁ、不謹慎ながら、自分としてはこういう評価は素晴らしいことなのではないかと思います。 生命現象は、とてつもなく複雑な込み入った現象です。ただ、生命現象は複雑とは言え、(必ずしもそうでは無いですが)一定の合理性を持っているように思います。そこで、それを(一般の人でも分かるほど)非常にシンプルな法則として抽出し、説明出来るというのはまさに優れた研究結果の証だと思います。優れた研究は、非常にシンプルな法則を用いて複雑かつ多様な現象を説明できると言います。アインシュタインの E = mc2 なんてまさにその典型なのかもしれません。

一方で、上記の話は「研究結果をしっかり分かり易く説明できるか」の話であって、「その研究理論をどのように構築し、理論として証明出来るか」というのは、全く違う話だと思います。先ほども書いたとおり、生命は複雑でまだ分かっていない事は山ほどあります。その中で、構築できそうな理論や法則は、それこそ無限にあります。研究者は、この無限の可能性の中から、本当に生命現象としてあり得そうな説を選択し、それを実験を以って説明していくわけです。

優れた研究者は、数ある可能性の中から、その節を選択するセンス(理論構築のセンス)があり、それを実験的に証明していく上手さ、を持っているのだとと思います。研究を始める時点では、ピースのほとんどが欠けている状態でのジグソーパズルを作るようなものだと思います。その欠けたピースを自分で発見していくのですが、欠けが何個ありあと何個発見すればゴールにたどり着けるかなんてやってみないと分りません。

つまり、コロンブスの卵のようなもので、答えが分かってみれば、とてもシンプルだけど、それの初めに証明するのはとても大変なことであると思います。その意味で、基礎研究は大変で、本当に地道なものだと思います。こういう成果に対して、社会全体が高く評価し、次の研究に繋がっていけば良いな〜と(研究者の端くれながら)思っています。


コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です