リーダーとしての言葉を身体知化する

今、会社でリーダーとして頑張っている人を現場から見ていると、「リーダーになるってとても大変だな」と思います。特に、自分が勤める会社のような「グローバル組織」(になりたいけれども、なれていない組織)のリーダーは、日本と海外のマネジメントスタイルのギャップの大きさなどにも配慮せねばならず特に大変なのでしょう。いい意味でも悪い意味でも彼らリーダーを見ていると、「リーダーとしては言葉が大切なのだ」ということに改めて気づかされます。

それは、多様な背景、多様な専門性、多様な価値感などを持つメンバーの向かう方向性を一つに定め、そしてメンバーを動かしていく必要があるからです。そのためには当然ながら言葉が必要です。一方で、リーダーは良い状況でも悪い状況でも、自分が一貫した行動を取る必要がありますが、そのための行動指針としての言葉を持っていなければいけません。今日は、後者について色々と思うところがあったので、続けて書いていきます。

リーダーは、当然ながらプレーヤーとは違った働きが必要になります。もし同じことをやっていたら、マイクロマネージメントをやって、失敗するのだと思います(よく見かけますが)。なぜこのようなプレーヤーからリーダーへの切り替えがうまくいかないかと言えば、その人の持っている言語体系がプレイヤーのままだからだと思っています。

行動は自分の持っている言葉から生まれてきます。リーダーとして行動できるかどうかは、リーダー(マネージャー)としての言語モデルだけ持っているかが問われているのかもしれません。

そういうことを意識しないで行動できる、生まれつきのリーダーっていると思います。おそらく、いちいち言葉として意識しなくても、経験から直感的に繰り返し学ぶことで、身体知としてリーダーとしての行動が定着しているのではないかと思います。ジャングルの中で集団で行けるゴリラのボスなんてのもそうかもしれません。また野球なんかでは、少年野球で中学高校(大学)そしてプロまたは社会人で、どのカテゴリーでもキャプテンを務める人なんかもいますよね(広島カープの小窪哲也選手みたいに!笑)。

だけど、自分は明らかにそのタイプじゃないと思っています。キャプテンとかもやったことありますが、身体知として定着していません (汗)。だから自分は今のうちから、行動指針となる言葉をせっせと集めなければいけません。そして、本を読んで満足するだけではなく、身体知化するでまで、ブログに書いてそれに基づいて行動し、失敗を反省し、また書く、というプロセスを通じて、叩き込んでいかないといけないと思っています。ってことを以前に考えていたのですが、全然実行していないのでダメですね (汗)。これらについて、今後、意識して書いていきたいと思います、頑張ります!!!


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