未来を変える決断を積み重ねていきたい

決断が人生を変えていくとよく聞きます。決断をしないということは、昨日の延長で今日も生き続けることを意味しています。もしそうだとするならば、自分が今日一日に下した決断の質が、明日以降の自分の人生の質を決めていくのでしょう。

難しい決断や厳しい決断をしてきた人は、その分だけきっと成長できるはずだと思います。例えば、難しい経営判断であったり、政治上の決断であったり、個人的なことであっても人生で重要な決断だったり、そういう決断をしてきた人たちは、きっとその過程で悩み、苦しみ、そして学ぶことを通じて、成長できるはずだと思っています。きっと心的なストレスも大きく、このような決断を迫られることが良いことなのかどうかは別ですが、少なくとも成長には繋がると思います。

しかしながら、昼飯にカルボナーラを食べるかナポリタンにするか程度の決断しか、していない人もいるかもしれません。その程度の決断では、大切な決断のための筋力は育たず、大切な時に思い切った決断を行うことができないでしょう。その場合は、主体的な決断ができず、周囲に流されるという結果になるのかもしれません。

もちろん周りから求められる役割によって、決断をしていかなければいけないという場合もあると思います。会社やコミュニティー、家庭内の役割がそうかもしれませんね。自分の環境により、自分自身が決断をしていかなければならない状況ですね。一方で、自分がコミュニティに属さず、他者との関わりを持たなければ、役割として決断を求められることは少ないかもしれません。

他者との関わりがなくても、自分自身がどんどん決断を下していける人もいるかもしれません。もちろんこのような方は、主体的に自分の人生を生きておられる方だと思います。自分としては、このような姿に憧れる一方で、残念ながら現時点では自分はまだまだ人生への主体的な働きかけが少ないように思います。また、そのような場に自分を置いてはいないと思います。

何故なのでしょうか?その理由は、目指すべき姿がどこにあるかなのだと思います。自分が、どのような決断を下す人間でありたいか、の意識が弱いのかもしれませね。例えば製薬会社であれば、ある二つの治療薬の候補があるけれども、開発の予算は一つ分しかない。どちらの薬も、患者さんたちが求めてやまない薬である。開発の成功確率やリスクも、ビジネスとしての発展具合も同程度。さて、どっちに決めますか?というケース。このような重い決断を下す権限と責任を負いたいかどうか?ですかね。

可能であるならば、自分はそのような決断をできる場所にいたいなと思います(上記はあくまで喩え話ですが)。また逆に、カルボナーラかナポリタンだけを決めている人生では終わりたくはないと思っています。「今日、自分がどのような決断をしたか」を自分自身が振り返り、少しでも主体的にかつ自分の人生にインパクトのあるような決断ができるよう、考え行動していきたいと思います。頑張ります!!!


コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です