新しい部署に移ってから、以前の部署との違いを感じたのことの一つに、「議事録」を書くことに非常に大きなエネルギーを使っているということがあります。書く側も読む側も、一字一句間違いがないかチェックしています。これは組織の文化なのかもしれませんし、人の命に関わる医薬品を開発し申請する部門なので、より慎重な面もあるのかもしれません。
自分の部署の中でも部門によるのかもしれませんが、今のチーム内では「会議中に何を言ったか」を超えて、「これはこういう意味で言った」という修正も入るので直し放題、もはや本来の議事録を超えた存在になっています(笑)。自分としてはそこまでやるより、別の時間の使い方をした方が全体の生産性は上がるのではないか、とも思ったりします。
しかし、今日はその是非についてではなく、今のこの環境の中から自分が何を学べるかを考えてみたいと思います。前の部署では、実験データが何よりの証拠であるため、正直そこまで日本語の選択に気を使わなくても、結論を分かっていただける環境であったことに気が付きました。今の部署では、様々な背景や専門性を持つメンバーの集まりの中で仕事をしています。その中で、より誤解の少ない意思決定をしていくためには、一義的にに解釈できる議事録にするために、日本語の選択というのが大切になってくるのだと思います。
新しい部署でももちろん依然としてデータは大切なのですが、データ以外のところで意思決定をしなくてはならない場面もたくさんあります。だからデータだけを見て「皆さん、結論は明らかですよね。」というのは、より通用しない環境なのかもしれません。
このように今の環境では正しい用語や言い回しの選択にとてもこだわっているので、自分としても正しい用語の選択を学ぶチャンスだと考えることができるかもしれません。些細なことで修正が入ると「??」とも思ったりするのですが、あくまで自分の成長できるチャンスだと考えると、うまく利用したいと思います。本来は自分の文章を校正してもらおうとなるとお金がいるわけで、修正していただけるだけありがたい話だと思います。
ただ一方で、会議をして議事録を書いていれば、何となく仕事をしている気になってしまう事には注意しないといけません。大切なのは成果を生むことです。議事録をはじめとした会議での意思決定はそのための手段に過ぎません。あくまで、仕事において自分がどのように価値を見出しているか忘れることなく、そのために必要なこととして会議や議事録をうまく使っていき、その過程で学べることは学びたい、という位置づけにしたいと思います。