#549 映画「風立ちぬ」を見て来ました!

学位 PJ 第二期終了まで、あと50日!

(1)論文執筆、
活動、文章を書く
時間、>4h

(2)論文新ネタ、
活動、論文を読む
時間、30分

(3)英語、
活動、TED、A 3D-printed jumbo jet?
時間、20分、

(4)その他活動、
映画を見に行く

(5)感謝、
今やっている仕事のミッションに共感できること

(6)ブログ

映画『風立ちぬ』を見て来ました。随分世間でも話題になっているようですが、期待通りの美しい映画でとても満足出来ました。もう一回みようかな(笑)。

映画のあらすじや詳細は割愛しますが、(世間の感想からしたら随分曲がった?笑)感想というか、心に残った点のみを書いておきます。

まず、航空技術者である主人公の二郎の仕事・研究対象である飛行機に対する思いに、共感しそして心が動きました。まず自分の夢に向かってまっすぐに進む姿に感動し、そして羨ましいとも思ってしまいました。

同じ研究を仕事にするものとして(と言うのはおこがましいのですが)、研究対象を好きになる、それに対して思いいれることができるというのは、素晴らしいことだと思います(映画がフィクションであることは置いておいて)。

好きになる理由なんて特になくても良く、飛行機は美しい・人がそらを飛ぶのは素晴らしい、それだけで十分なのだろうと思いました。「サバの骨の曲線は美しい」という表現にあったとおり、研究対象の中に潜む美しさに気づいてそれを解析し感動する。それで十分なんだろうと思います。ボクももっともっと自分の仕事を研究を好きになりたいと思います。

また、戦前のいわゆるエリートと呼ばれる人たちの心意気と悩みみたいなものも少し垣間見れたような気がします。「欧米に追いつき追い越す」と口でいうのはたやすいでしょうが、当時は資源に加え金も技術もない国でそれを実現することを人生の責務として負ったエリート達は、どんな気持ちだったのでしょうか。ましてや軍需産業においては、追いつけないこと ≒ 敗戦ということを示唆するわけです。自分がやらなければという自負や責任感と、悲壮感にも似た焦り、そして自分が戦争への関わっていくことへの悩みなど、複雑な感情を感じました。(これって、世界で競争しなければいけないと言いつつも、そのスタートラインに立てていない自分と共通する部分があり、余計にそう感じたのかもしれません。)

最後にもう一つだけ。夢の中でイタリア人設計師のカプローニからかけられた言葉です。

「 創造的人生の持ち時間は10年だ。君の10年を力を尽くして生きなさい。」

さてボクは会社に入って何年もたち、今ではそれなりに一人で仕事も構想できるようになりました。創薬研究というものに打ち込み始めた自分にとって、もしかしたら10年という期間のストップウォッチは動き始めているのかもしれません(きっと動き始めています)。力を尽くして生きているか?。そうありたいと思いますし、そうであれば振り返った時にきっといい人生だったと思えるのでしょう。残された創造的人生そして人生そのものの時間は、有限でまさに貴重なものであるということを二郎と奈穂子の爽やかで美しいそして切ない描写からも感じました。

「きみの10年はどうだった?」

と夢の中で聞かれた時に、自分ならどう答えることができるでしょうか?自分の10年を誇らしく答えたいとおもいますし、そう答えることができるよう、また明日から頑張っていきたいと思いました。

以下、雑感です。映画とは別にして、戦前の研究者・技術者たちはどのような気持ちで研究に取り組んでいたのかをふと考えました。例えば飛行機であれば、戦争の道具になることがまず一義的な使われ方です。純粋な研究に対する気持ちとは別として、祖国のために武器をつくるという国を思う気持ち、それが戦争の道具として人を殺すために使われるということを否定出来ない矛盾、など複雑な思いがあったのだと察します。自分が好きな研究とその出口として社会にあたえる影響とを考えると、人々の健康のために働ける自分は何と幸せなのだろうと感じます。


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