#599 先輩の急逝に際して感じたこと。

学位 PJ 第二期終了まで、あと3日!

(1)論文執筆、
活動、活動なし
時間、0h

(2)論文新ネタ、
活動、活動なし
時間、0h

(3)英語、
活動、プレゼン準備
時間、30分、

(4)その他活動、
引越し準備

(5)感謝、
お世話になった先輩

(6)新しい挑戦、
知らない方にコンタクトしてみる

(7)ブログ

学生時代にお世話になった先輩が闘病の末、お亡くなりになったと先日聞きました。まだまだ若く突然のことでとてもショックです。闘病されていたことさえも大学のメンバには知らせていなかったようです。学生事態には直接仕事でやりとりすることがなかったのですが、端からみていても人格者でだれからも好かれ、厳しいことを言われることがあるのにも関わらずみんなから慕われていました。

自分にとって身近でかつこれからも交流が続いていくはずであった若い方が亡くなられるのは初めての経験で、しかもとても好きで尊敬していた先輩ということもあるせいか、上手に事実を受け入れることが出来ていません。

弔電や弔花も送ったのですが、まだ信じられません。頭では事実として分かっているのでしょうが、それが事実であると実感をもてていないというのでしょうか。ボケーとしたフワフワした感情に包まれています。

ただ、喪主のお名前、葬儀の会場や流派を聞いたり、病因のことを知ったり、そして友人達と連絡を取り合い生前の昔話を振り返っていたりするにつれて、先輩やご家族の無念さなどが想像され、先ほどのフワフワした感覚から痛みをもった悲しさに少しずつ置き換わってくるのを感じています。(多分、葬儀に参列して、直接お別れが言えれば、その思いはもっと強くなるのでしょう。遠方のため葬儀に参列は出来ませんが、最後にお別れを言いたかったです。)

自分の友人達や先輩と親しかった方達から連絡をもらうのですが、誰もが先輩の事を慕い、偲び、そして信じられないという思いを持っているようでした。彼らはボクと同様に先輩には卒業以来数回も合っていないのですが、学生時代の先輩の言動を今でも忘れずに「何故あんな良い人が・・・」とみな口を揃えます。これも先輩の人徳だと思いますし、もし自分が早く死んでしまうなら(もちろんそんなことは無い方がいいに決まっていますが)、同じように思ってもらえるといいなと思い、日々の言動を反省しています。

そんな感情の動きの中で、生きていることそれ自体がとても特別で有り難いことであるということを思い出します。例えば「死ぬときに後悔の無いように」という言葉はスティーブ・ジョブズのスタンフォード大のメッセージにも入っていますが、その言葉の意味が以前より一段階分だけ実感をもって感じられます。それが先輩が入っておられるような勘違いもありより心に刺さってきます。

まだ心の整理は出来ていないのですが、何でもないけれども特別な日々の一瞬を大切に使っていきたいと思いますし、人々の健康と命に関わる仕事をしている製薬会社の研究者としての使命をもう一度思い出して日々を過ごしたいと思いました。


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