#726 生きた言葉としての英語を学ぶ!

帰国まであと68日!

(1)論文、
活動、一報目の修正、二報目の追記
時間、2h

(2)英語発声練習、
OK、単語

(3)その他活動サマリー、
実験!

(4)陸トレ、
66.0 kg、OK

(5)感謝、
気にかけてくれる方

(6)新しい挑戦・昨日からの進化、
自分から話しかけてみる

(7)ブログ、

今日は実験と論文に加え、日本とのビデオ会議と部屋の片付けと充実した一日になりました。とは言え、残された日数は僅かで、もっともっと仕事を加速していかないといけません(汗)。目標を達成できるように、これからもうひと頑張りします。

さて、本題です。最近、自分にとっての英語感が変わりつつあるというか、英語を学ぶ動機が変わりつつあります。ひと言でいうなら、「英語を上手にならなければ」とう義務感から、「もっと英語が上手になりたい」と前向きな気持ちで思えるようになったことです。

そう感じるようになった根本の原因は、リーディングとリスニングの敷居が低くなって来たことだと思います(スピーキングは相変わらずダメですが)。その結果、単語さえわかれば映画も字幕なしで半分くらいは理解できるようになりました。

最近はほとんど映画は見ませんが、映画は字幕で見るよりも(当然吹き替えよりも)生の英語で聞いたほうが絶対に感情移入できると思います。(ここで例として挙げるのはホントに恥ずかしいのですが汗)、以前は全く理解できなかった『ノッティングヒルの恋人』なんかを字幕なしでみても、今ならばジュリア・ロバーツのセリフのところだけは分かるようになりました!(ヒュー・グラントのところは半分くらいしかダメで、ブリティッシュは相変わらず苦手です汗)。

これまでは英語が恋物語?の中で使われていることは頭の中では分かっていても、実際に英語が聞き取れないうちは、そのような使われ方をしていることの実感が持てませんでした。しかし映画やドラマの中での英語を聞いたり、アメリカ人の奥さんと結婚した日本人の同僚の話や、みんなが英語で喧嘩をしたり慰められたりしているのを見て、英語に関しての捉え方というか気持ちが変わって来つつあります。

上手な言い方ではないかもしれないですが、英語が受験のテスト科目の延長であったり、日本語の通じないシニアマネジメントに何かを説明するためのツールというものだけではなくて、英語は生きた言葉であり、世界中の人が英語を使って仕事をし、喧嘩をし、恋をし、慰め、喜びを分かち合っているということが実感として理解できるようになってきたのだと思います。

まあ、そんな事は当たり前なのですが、これまでそのように思えていなかった状態から、生きた言葉としての実感を持てるように変わってくるにつれて、少し英語が好きになったというか、自分も英語を使った環(コミュニティ)に加わりたいと思うようになりました。

こちらの上司からは「仕事をしなくていいから、もっと同僚と触れ合え!」とキツく言われていることもあり、最近は意識してこちらの同僚たちと会話をするように頑張っています。家で地味に勉強している成果を会話の中で少しずつですが発揮できるようになっています。そういうちょっとした成功を重ねるにつれて、もっと英語を頑張りたいという気持ちが少しずつ大きくなってきているのを感じます。

ということで、仕事と論文が忙しいのですが、ラボと家に引っ込んでばかりいないで、たまには外に出て活動したいと思います。頑張ります!


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