#823 自分の人生の残り時間と優先順位!

期限まであと48日!

(1)論文活動、活動なし

(2)英語勉強、活動なし

(3)その他活動サマリー、
勉強、イノベーションのジレンマ

(4)陸トレ、活動なし

(5)感謝、
一緒に勉強してくれる同僚

(6)新しい挑戦・昨日からの進化、
プレゼン資料完成

(7)ブログ、

今日は終日、大切な会議のプレゼン資料作りに費やしました。良い資料ができたと思います。あとはしっかリと練習して、聞き手を動かすプレゼンになるようにしたいと思います。

さて、本題です。毎日忙しい日々を送っていますが、「今、自分は誰のための人生を生きているのだろう」という疑問を持ってしまいました。

一生懸命仕事をするのは、自分のため、そして家族のためです。さらに薬を待つ患者さんのためです。もちろんそれ以外の目的のためもありますが、それが大きくなりすぎるのは良くないことなのかなと思います。

例えば、降ってくる雑務などに対して時間が取られすぎ、かつその雑務に意義を見出すことができない場合などは、自分の人生の時間を一体何のために使っているのだろうという、小さな不満さえ生まれてきます。(決して雑務をやることが時間のムダで意味のないことと言っているわけではありません。組織のために必要な雑務であれば、給料をもらっている社会人としては避ける事が出来ず、ある意味で回りまわって自分のための時間と考える事もできるかもしれません。)

遅かれ早かれ誰の人生にも終わりが来ることを考えると、自分の人生を生きたいと思います。その際に大切なことは、どのくらいの期間で物事を考え、どのような優先順位でそれを達成してくかだと思います。

自分の人生にとって大切だと思っていることに取り組むことは重要だと思うのですが、それにすぐに取り組むことがいいかどうかはまた別問題です。短期的に取り組むべきこととしっかリと時間をかけて取り組むことを分けて考えることが必要だと思います。当たり前の事なのですが、その際には長期視点で取り組むことは成果を急がない必要があることでなければならず、短期に成果を出さないといけないことにはすぐに対応しなくてはなりません。

大器晩成型とか長期視点とか自分が大切にしていることの価値を否定するものではありません。しかしこれらは、長い間元気で活動できるという事を前提にしており、これは多くの場合成立する前提ではあるのでしょうが 100% の前提ではないと思います。

であればまずは短期の備えをしっかりとしておくことが必要なのではないかと思います。極端な話「自分はいつ死んでも構わない」というくらいの状況を短期視点では作っておいて、その上で長期の目標に取り組めるのが自分の場合には理想だと考えることが出来るのかもしれません。

そういう足元をしっかりと固めるという作業が実は不十分だったのではないかと思う今日この頃ですが、今から対応をしていきたいと思います。


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