不便な生活の中で感じる変化を喜びに

アメリカにきて新生活が始まっています。日本から送り出した荷物はコロナ禍による物流網の混乱もありなかなか届かない状況です。仕事が忙しくてまだアパート周辺を徘徊はできていないのですが、どこで何が手に入るかはわかっていません。日本だと簡単にできることもそれなりに時間がかかります。例えば洗剤を買うということも、日本だとアタック、アリエール、トップなど自然と浮かん来るのですが、アメリカではブランドにもあまり馴染みがないので大体何を買ったよいかは分かりません (聞いたことがあるのは Tide くらい!?)

まとめると、そんなこんなでめちゃめちゃ不便な生活がスタートしています。ですが、不満かというとそうでもありません。というのは、不便な生活は事前にある程度想定できていたのかもしれません。初めてアメリカで長期滞在した際には、この不便にいちいちキレていて、二言目には『日本だったらこんな思いはしなくていいのに』という不満を口にしていました。

しかしそんなこと言っても現実は何も改善しませんし、気分も晴れません。逆にどんどん惨めになるだけです。流石に、アメリカの長期滞在も三回目になれば、その不便ささえも楽しもうという心構えができているのかもしれません。

今回も、新しい生活が始まった直後が最も不便さを感じることが多かったのですが、この不便さは、毎日の慣れや学習、そして日々のカイゼンにより、徐々になくなっていくものです。その結果、日々、便利になる一方です。その不便だったものが解消される、そのプロセスに喜びや快感(?)感じているのかもしれません(笑)。

絶対的な便利さには徐々に慣れていつしかそれが当然になります。例えば、日本の定食屋さんでは、美味しく、栄養バランスの良い、ヘルシーな食事が、良い接客で、1000 円でお釣りが来る値段で食べることができますが、日本にいればそれが当たり前です。日本のコンビニの便利さも(24時間空いていて何でも揃う)、治安の良さも、食の安全も、接客業のサービスの素晴らしさも、日本にいたら当たり前のことが実は当たり前ではなかったということに改めて気付くのですが、これらの素晴らしいものも慣れれば当たり前になって、心は動きません。

しかし、相対的な便利さの向上には、非常に気がつきやすいものです。一昨日より昨日、昨日より今日がどんどん便利になり、出来ることが増えていきます。その成長の過程を楽しむことが出来ているのかもしれません。もちろん変化が右肩上がりにずっと続く訳ではないのですが、この変化を感じることが出来なくなった頃には、不便を感じないそれなりの生活ができるようになっていることでしょう。それまでは今の生活を楽しみながら、日々の改善を続け、変化を感じていきたいと思います。さて、明日からも頑張ります!


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