自転車には転んでから乗れるようになる

仕事で英語を使いますが、相変わらず英語が下手で、本当にひどいもんです。特にプロジェクトマネージャーとして会議の司会をしないといけないので、会議中は私が喋ることがほとんどです。まあ、はたから聞いたら本当にひどいと思いますが、仕事ですから、なんとか会議の目的を達成するために、必死にやってます(笑)。

自分が英語でプレゼンをするときは、プレゼンで喋ることは事前に準備ができるので、最悪しゃべる内容を丸暗記していけばなんとかなります。しかし、司会はそうはいきません。進行で良く使うフレーズは一通りは暗記はしましたが、それだけでは対応できることの方が少ないわけです。議論は予想外の方向に流れますし、アメリカ人同士が白熱した議論をして平行線になった場合などには大変です、彼らの論点を整理し、次へのアクションを決めないといけません。しかし、そもそも早口で一生懸命にまくし立てるように喋れられた時には、議論についていくだけで精一杯だったりします。議論についていけてないことが丸わかりの発言をして恥をかいたり、見かねた同僚が助けてくれたり、とそれこそボロボロになりながら、仕事を回している状況です。

とはいえ、今では、タオルを投げて TKO にしないといけない状態ではなくなったと思っています。なんとか下手くそなりになんとか会議を回すことが出来ている状況です。思えば少しは成長したように思います(笑)。思い返すと、日本人が誰一人いない会議で、司会をしたのは4年前だったでしょうか。電話会議だったのですが、それこそ(目でなく)耳を覆いたくなるような酷い出来でした、二度と思い出したくもありません(笑)。

その会議には自分のメンターのようなアメリカ人の同僚も出ていたので、実は私に代わってその会議の司会をしてもらうように事前にお願いしていましたが、自分でやってみろ、と断られていました。その同僚は私のひどい会議進行の間に口を出す事はなく、会議が終わった後に初めてアドバイスをくれました。そのアドバイスも、会議の出来が酷すぎることを自覚している自分にとっては針のむしろでした。しかしながら、全てはそこからはじまったのだと思います。

自転車に乗れるようになった時のことを思い出すと、まずは三輪車から?、そして補助輪付きの自転車に乗り、補助輪なしの自転車に乗って(場合によっては大人に支えてもらながら)練習を繰り返して初めて、自分一人で乗れるようになりました。だけど、三輪車や補助輪は操作に慣れるの意味や、恐怖心を除くには役立ったかもしれませんが、実際の自転車に乗れるようになるのには直接に役立ったわけではないと思います。大事なのは、自分の足でペダルを漕いで、自分の手でハンドルを操作し、何度も転んだ結果として、乗れるようになった、ということなんです。

思い返せば、英語での会議も、骨折寸前の転倒を何度も繰り返しながら、少しずつ上達してきたのではないかと思います。三輪車にまたがったままでは、絶対にここまで来ることは出来なかったでしょう。あえて失敗して、失敗から学ぶ機会を与えてくれた同僚に自分は感謝をしたいです。そしてこれからも失敗を恐れず、むしろ失敗を成長の機会として捉えて、また明日から頑張っていきたいと思います!


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