集中的な負荷に耐えると実感できる成長がある #1230

最近、日本語の文章をまとめて書くということに関して、集中的な負荷をかけられていました (汗)。毎日、文字数にして一日に5千字から1万字を超える作文をしていて、結構しんどい思いをしました。文庫本が一冊10万字程度であることを考えると、質はともかくとして量に関しては結構な負荷をかけていたことになります。

そういうことを数日間続けて経験することになると、その負荷から開放された時には自分が成長していることを実感できます(勘違いかもしれませんが笑)。例えばこのブログネタの一報を書く事が、以前に比べて負荷が小さくなったように思います(まあこのブログは駄文を並べているだけなので、元々大した負荷はかかっていないですが汗)。確かにこのブログ一本分だと800〜1000字くらいなので、最近経験した負荷の5分の1から10分の1程度で済むことになります。

この『成長しているかも』という実感は、集中的な負荷があったらから感じることが出来るのだと思います。1万字を一日だけ実践しても、決して感じることは出来なかったでしょう。大きな負荷を集中的にかけることで初めて感じることが出来たのだと思います(それは自分が元々望んでいた環境だったかどうかは別にして汗)。

ポイントは慣れを生じさせるまで集中的にやることだと思います。この慣れが過度の負荷から生じる痛みを取り去り、また同時に、その負荷がなくなった時に自分が身軽に感じることが出来る原因になるのだと思います。『集中的に』負荷をかけないとこの慣れを生じさせることが出来ないため、なかなか次のステップへと進みにくくなるのだと思います。

同じような事は日本語の文章の執筆だけに限りません。英語の論文を一報書き上げると、以前よりも英語で発信をするのが明らかに上達しているのを感じることが出来たり、一週間の学会で外国の友人とルームシェアをすることになった後に英会話が上達していたり、サッカーやサーフィン、ランニングなどのスポーツの合宿の後には技術的や体力的な面での成長が見られたり、このような集中的な負荷の効果は分野を超えて観察されていると思います。

というより、集中的な負荷に耐えたことで生まれた自信が、そのような知覚を生み出しているのかもしれません。成長した気になっているだけで、実際は成長していないのかもしれません。しかし、少なくとも自分が成長したとメンタル面だけでも思い込めるのであれば、それだけでも『プラセボ効果』があり、自分の負荷が軽く感じるのであればそれで良いのかもしれません。

ということで、もしも纏まった時間がとれるのであれば、今回のように集中して負荷をかけることで、自分が実感できるほどの成長を目指していきたいと思っています。反対にこの効果を実感するためにも、時間はなるべく纏めて確保し、集中的な負荷をかけれる状態を作らないとダメですね、頑張ります。。。


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