大欲は無欲に似たり #1370

自分は製薬会社で働いていますが、『患者さんのために何が出来るか』を常に自分に問いかけながら仕事をしています。このように薬を待つ患者さんのために仕事が出来るのは非常に誇りに思う一方で、残念ながら今のところ患者さんに対して何の貢献も出来ていない自分を非常に不甲斐なく思ったりしている毎日です。それほど『患者さんのために』という言葉は自分に強く刺さる言葉になっています。

しかし一方で、『患者さんのため』と言いながらも、会社員としては自分の業績、キャリアなどを気にしていかなければならない状態であることも事実です。踊る大捜査線の和久さんじゃないですが、組織にいる以上は『正しいことをしたかったら偉くな れ』というのも一つの真実だと思っています。そうすると目先の小さな成果が気になってしまい、結果としてギラギラとした成果欲みたいなのが表に出てしまうような気がしています。その結果、なんだか自分の欲のために仕事をしているのか、という疑問も生まれてきてしまいますし、周囲からもそう見れられてしまうかもしれません。好き嫌いの話ではあるのですが、そういう姿は自分としては非常に違和感があると感じます。

そんな自分に対して、鮒谷周史さんからセミナーで頂いた言葉は『大欲は無欲に似たり』というものです。この言葉の意味を辞書等で調べてみると、大きな望みを持てば、目先の小さな利益などを顧みなくなる結果として、周囲から見ると無欲に見える、ということのようです(別の意味で使われることもあるそうですが、今回の文脈とは外れるので割愛します)。なるほど、これは本当に深い!です。

たしかにこれは自分としても実感が出来て、大きな志を立てている時ほど(また大きな志の人ほど)、その志に共感して多くの方に助けていただけますが、それは大欲が無欲に見えるからなのでしょう。一般的に私心が見え隠れし始めると、多くの場合、サポートしてくれる人も冷めてしまうのではないでしょうか。上記の通り、そこに本人の私心が全く無いことはないのでしょうが、大きな志であるほど私心は無いように見えます。

自分は決して私心を否定しているのではなく、それを通じて『患者さんのお役に立てること』が出来ればそれで良いのだと思います。自分としても『患者さんのために』という大きな志も本心である一方で、『会社をクビになっても食っていける実力を付けたい』等という私心も自分の本心です。その両方を自分が持っていることを素直に認めた上で、自分としてはまず『志をさらに大きく』していくことだけを気にしていれば、結果として個人の成果(=私心を満たす)も付いてくるように思います。逆の順だと駄目なのかもしれないですけどね。結果として、大欲が無欲に『見える』だけではなく、自分としても目先の小さな成果に対して無欲になれれな良いのかもしれないですね。まだ考えを詰め切れていないところもあるのですが、長くなりそうなので、今日はこのへんでオシマイにします。


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