悔しく感じるのはまだゲームを降りていないから

自分は製薬会社の研究所に務めていますが、自分のオフィスから少し歩くと窓の向うにある会社の研究所が見えます。その会社は最近、素晴らしい医薬品の開発に成功しました。劇的な成果があり、患者さんやそのご家族、さらに医療現場に大きな喜びをもたらすことが出来たと聞いており、本当に良かったと思います。ピーク時の売上高は数百億円になると予測されています。

だけど、自分としては忸怩たる思いがあります。というのは、自分たちの会社も同じ製品の研究をしており、我々は途中で研究を諦めてしまっていたからです。その研究には自分は直接関与していませんし、研究中止の背景には科学的な観点もあれば戦略的な観点も含めた複雑な判断だったと聞いています。ですので、当時の研究担当者や中止判断をしたシニアマネジメントに対して、批判を言うつもりはありません。担当者もシニアも一生懸命にやった結果なのだと思います。ただ自分としては、その会社に出来て、自分たちに出来なかったことが悔しいのです。

研究開発費の額が桁違いの海外のメガファーマに負けるのならともかく、同じ日本の会社に負けることは我慢なりません。もちろんその会社の研究力は素晴らしいのでしょうが、決して自分たちが研究力で負けているとは思いません。でも負けてしまったのは、(紙一重の?)思いの差であったり、信念の差であったり(あとは戦略の差であったり)するのだと思います。

医薬品の研究開発には10年という長い月日がかかるため、今の製品は十年前の研究活動の成果です。だから自分がいくら悔しいと思ったところで、自分の思いは今後10年経たねば実現できません。しかし10年後に会社の若い方に『10年前の研究者がボンクラだったから、また日本の会社に負けた』と言われるのだけは勘弁です (汗)。

オフィスから出てその研究所を見るたびに悔しい思いがこみ上げてきて、次こそ自分たちが患者さんの役に立つのだ、という思いを強くします。『スポーツ選手は負けて悔しいと思わなくなった時点でもう現役である資格が無い』ということを聞いたことがあります。その意味で、窓からあの研究所が見える度に非常に悔しく思うのは、まだ自分がゲームを降りていないということだと思っています。次こそ(自分たちの番でこそ)他社には絶対に負けないように、今日の行動を変え、未来の成果を生み出したいと思います。頑張ります!


コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です