問題は理想と現実との差分として定義される

今日、会社の同僚と議論をしていた時、『〇〇(自粛)の数字が25%しかなく、低すぎるのが問題だよね!』とある後輩がしきりに主張をしていたのが気になりました。後輩は一生懸命に『問題だ』と騒ぎ立てるのですが、自分を含め周囲の同意を得ることが出来ずに終わってしまいました。たしかにその数字は25%であるのことは事実なのですが、それが本当に問題なのかという論点がごっそりと抜けていたからだと思います。簡単に言えば、その後輩と周囲の前提が違っていたということになるのでしょう。

そもそも問題とは、『理想の状態と、現状とのギャップの現れ』として定義されるはずです。このギャップは、本来どうあるべきかの理想の姿を掲げ、現状の姿を比較した際に、初めてその差分として捉えられるわけです。しかし『ある数字が25%』というのは現状であり、『低すぎる』と言っているのが何と比べてなのかの議論が出来なかった点が、後輩が同意を得られなかった原因なのだろうと思います。つまり議論をしたメンバーで、『理想とする状態が何%なのか』の前提を確認・共有することなしに、自分の基準で『数字が低い』と判断している点がダメだったのですね。

まぁこうやって書くと、当たり前の話で、何をいまさらという感じもするのですが、でも実はこういう議論の食い違いって多いですよね。仕事でも『情報共有が足りない』とか『意思決定が遅い』など、頻繁に(ドヤ顔で笑)指摘する人たちがいます(たぶんどこのコミュニティでも程度の差こそあれ同じような方が居らっしゃるんじゃないでしょうか)。しかし、これもそもそも理想の状態がどんな状態なのか、さらに現実はどうなのかを共有することなくこんな話をされたって全然ピンと来ないというか、逆に『おいおい、大丈夫か???』と思ってしまいます。

確かに、情報共有はたくさん出来たほうが良いですし、意思決定が早いに越したことはありません。しかしあくまで理想の状態に対してどれだけの水準で必要かというのが本質であり、その水準を上げるのにかかるコストとのトレードオフを考えることが必要なんだと思います。

と偉そうに書きましたが、自分のキャリアや人生についても同じでしょうね。英語が出来なきゃいけない、ビジネススキルが高くなきゃいけない、などなど闇雲に考えてしまいがちですが、そもそも自分の目指すべき水準を明確に定義し、さらに自分の現状を冷静に把握できないと、ギャップを捉えることが出来ずに、現状が問題なのかどうかさえ分からなくなっちゃうわけです。人の問題はよく見えるのですが、自分のことについては本当に盲目です (汗)。いい機会なのでこの際に、自分の目標、ありたい姿というものを、もう一度洗い出すことをせんといかんなぁ、と思っているところです。


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