神様にフェイントをかけたい

私の好きな言葉に『神様にフェイントをかける』という言葉があります。放送作家の小山薫堂さん(映画おくりびとの脚本でも有名ですよね)が著書の中で書かれていていました。うろ覚えなのですが(汗)大枠は以下の通りかと思います:私達の行動パターンは大体決まっていて、特に意識をしなければ、同じような行動を繰り返してしまいます。神様視点で見れば、神様は我々が次にどんな行動をするかはもうお見通しなんですね。しかしそこで、大概のことはお見通しの神様も『そうきたか!?』と思わせるような神様も予想をしなかった行動を意識的に行うことで、日常のパターンを脱して、そこから思いもしなかった出来事・新しい出会い・刺激・チャンスに繋がるかもしれない。これを神様にフェイントをかける、と表現されていました。とても、うまい表現ですよね(正直うろ覚えで書いているので汗、間違っているかもしれないですし、少なくとも説明が上手くはないです。ぜひ小山先生の著書を読んでみてください)。

改めて思うのは、それだけ日常の行動は無意識的にパターン化されていて、意識的に変えていかないと新しい刺激には出会えないということです。これを日常の習慣の強さと呼ぶことも出来るのかもしれません。忙しい私達は行動をパターン化・習慣化することで、その部分を意識することなくできるため、余剰となっている意識を別のことに使うことが出来ます。要は、考え事をしながら歩いていたらいつの間にか目的地についていた、などはよくあることです。ここでは目的地に向かうために歩くことを習慣化することで、順路を確認したり、交通安全に留意したり、周囲の危険を察知したり、などなどに過剰に意識を使うことなく、考えるということを同時に出来るわけですね。これはこれで良いことです。

しかし、上記したとおり、同じ行動だけとっていては、同じ結果になってしまします。もし、この結果が素晴らしいものであれば、その行動は継続すれば良いのですが、私達の行動の大半は成果を生まない行動から成り立っているのは悲しいことに事実かと思います(ってのは私だけ?笑)。だからこそ意識的に、行動を変えてみるということを習慣にしたいと思っています。

いつも飲んでいる飲み物、いつも通っている道、いつも行っているお店、いつも食べているメニュー、いつも話している人、このような固定された行動を少しだけ変えるだけでも、新しい驚きや発見があり、日常がより鮮やかになってくるのではないでしょうか。もちろんこれらの『いつもやっていること』はそれなりに合理性があるので『いつもの』になっている訳で、なかなかこれらに並ぶ新しいものに出会えることは高くはないのかもしれません。ですので、何か良いものに出会えたらラッキーというくらいの淡い期待感・ワクワク感を持つくらいで(過剰な期待はせず)新しい行動を継続したいと思っています。

という、思いもあって、少し行動パターンを変えるべく、今日は朝からブログを書いています(神様が驚くほどの変化はではないものの笑)。夜書くのとは状況も気分も違うので、文書のテイストや書くスピードもすこし違うように思います。一回違うパターンを経験するというのは、選択肢を増やす意味でも良いことかな、と思っています。


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