昨日は、一緒のコミュニティー(?)にいる若くて優秀な方たち向けに、昇進や出世について私が思うところを無責任に書いてみました。要は、昇進や出世について、能力や成果は必要条件ではあるけれども十分条件ではない、だから短期的には昇進しようがしまいがあまり気にすることはない(っていうかどうでも良い!笑)と書きました。その勢いで、今日も続けます(笑)。
出世したら良いことに、肩書のがあると仕事がしやすくなる場合がある、次の仕事のチャンスがもらえる、ということを書きました。これは自分としては重要と考えます。一方で経済的なこと(つまり給料)はどうでしょう?これは二面性があると思っていて、たしかに増えれば増えるほど嬉しいものではあります。特に、給与が増えることは私にとって可処分所得が増える=遊ぶためのお金が増えるので、その面では嬉しいのです笑)。とはいえ、多くの日本の会社の場合、職責が上がるほど給与の上がり方が少なくなるというか、職責に比例して増えなくなるのでは、と個人的には思います。
一方、給与は衛生要因という面があると思います。つまり、生活していくに必要な一定値までは増えると動機に繋がるが、一方で一定値以上に給与は増えても動機には繋がりにくいのではないでしょうか。もし給料が2倍になっても2倍は嬉しくはないし、たとえ増えてもそれがいつしか当たり前になるにつれて嬉しさはなくなる、でも減るととっても辛い。などのような、合理的でとは言えない心理になります。以上から給与は定量的なモチベーションというよりも、むしろ『同期より多い』とか『少ない』ということに対するメンタルな面の影響が大きいような気がしています(改めて今となっては、どうでも良いですが笑)。
じゃあ、お前は結局、昇進・出世について、どう考えているんじゃ?、昇進した時どう感じたんじゃい?と問われると、昇進したときは自分の成長が認められたようで嬉しかったけれども、むしろ昇進や出世は、自分の成長や成果の後からついてくるものだから、必要以上にこだわらなくても良いのではないか、とは思っています。短期的に出世のために何かする必要は全くはなく、むしろ長期的な自分の成長にとっては何がベストかを考え、たとえ短期的には昇進は遠のいたとしても、成長できる場に自分をおく(例えば異動する、など)という選択もとってきたつもりです。次に高く飛び上がるために、体のバネを十分につかえるよう一旦深く沈み込む、というイメージですかね。
まとめると、昇進や出世を一義的な価値軸として置く必要はまったくなく、むしろ個人的にはざっくり本当にどうでも良いと思っているのですが、でも、昇進により成長の機会が得られそうであれば昇進にこだわるべき、さらに、もしも昇進が自分の成長にとってモチベーションやエネルギーになるのであれば、うまく使いましょう、というのが私の考えです。
一方で、一般的に昇進や出世をとても大切にしている人が大部分なので、他の方が昇進・出世した際には、心からお祝いしたいと思っています。自分が昇進したときは、その事自体よりも自分がお世話になった方や昔一緒に仕事をした方から『昇進おめでとうございます!』のメッセージを送ってもらったことのほうがなんだか嬉しかったので(笑)。以来、社内の人事通報(?)は毎月欠かさず見ていて、昇進した同期や知り合いに『おめでとう』のメッセージを送るのはずーっと続けいますが、これはお祝いする方も嬉しいものですしね(最近部署の同僚が昇進したのですが、その方の貢献が正しく評価れたことに加えて自部門も評価されたような気がして、なんだかとても嬉しかったです!)。
という、感じで今日はちょっと内輪向けの内容で書いてみました。もちろんこれは考えを誰かに押し付けたいということでは全くありません。そして何の参考にもならない私見なんですが、もし誰かのモチベーションなんかにつながれば良いなと思っています。以上、業務連絡でした!!(笑)