当たり前を大切にするために出来る事 #1278

今日、当たり前だと思っていることに感謝することがいかに大切であるのかを感じるネガティブな事件(!)がありました。人間は日々生活をしていると、置かれた環境にすぐに慣れてしまします。それが人間の良さでもある一方で、この慣れは自分の環境への感謝の念を失わせてしまうこともあると思います。どんなに贅沢な食事も住居も、毎日同じだと結局は慣れてしまい、最後には飽きてしまうのでしょう。

会社での研究環境や人間関係も一緒かもしれなくて、自分は本当に恵まれた環境で働いているのですが、ついついそれに慣れてしまい不平や不満ばかりに目が行くようになってしまいます。上記のとおり人間の性質上、ある程度は仕方の無いことであるにしろ、恵まれた環境にいてもそれを幸せと思えなくなってしまうのは残念なことですし、幼稚な表現ですが人生で損をしていると思います。そのように恵まれた環境に慣れてしまう自分に、幸せである事を思い出させてくれるのは、まずは感謝の気持ちなのだと思います。

この感謝の気持ちを常に持っているためにはどうしたら良いかに関しては、一言で言えば人徳なのかもしれません。確かに人間の出来た方は、あらゆる事に感謝し、その環境を肯定し精一杯生かされておられるように思います。しかしまあこの方法は、自分のような未熟な人間には一朝一夕にはなし得るものではないことは分かっていますので、別の方法が必要になります。それが今日のようなネガティブな事件にであうことからの反省や学びなのかもしれません。

事件に関しては詳しくは書けないのですが、自分が当たり前だと思っていることは、実はとても壊れやすいもので、実は簡単に失われてしまうという事例に出会ってしまいました。幸いなことに今回は自分に起きた事件では無かったのですが、同じことが自分にも理論上は起こり得ることを考えると本当にゾッとします。

今回の事件を見て、自分は自分の恵まれた環境を再認識するとともに、その環境に深く感謝し、そして同時にこの環境は壊れやすいものであることを認識したいと思います。そして、万が一にでもこのような事件が自分の身に起きることを防ぎ、今の環境を維持していくための努力をしていかなくてはならないのだと強く意識しました。そして自分の置かれている環境に対する慣れをリセットしてくれるような今回のような事件の事例に触れる事も、自分が外の世界に出て行くことで可能になります。逆に出て行かないと、自分本人の身に起きる事件しか経験できませんので。なので、まあ忙しいのですが内にばかりこもっていないで、外に出て世界をみて(そして遠巻きに事件を見て)、自分の当たり前の幸せを実感できるような生き方をしていきたいと思います。


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