自分は司馬遼太郎さんの本が好きです。幕末の作品も好きですが、何度も読んだのは『坂の上の雲』です。ウィキペディアによると『“坂の上の雲”とは、封建の世から目覚めたばかりの日本が、登って行けばやがてはそこに手が届くと思い登って行った近代国家や列強というものを「坂の上の雲」に例えた』とありました。この解説のとおり、国の存亡を賭けて戦った、近代日本のリーダーとそれを支えた人たちの悲壮なまでの必死さが伝わってきます。
自分が深く胸を打たれたのはまさにその『必死さ』で、登場人物の誰もが(リーダーから現場までの様々な層で)日本の国の行く末を真剣に案じています。迫り来る欧米列強との戦争という絶望的な状況に対して、各層で皆が自分の事としての当事者意識を持って、各人が自分に出来ることを実行するのに必死になっています。
このような姿は、司馬遼太郎さんの幕末の作品でも同じなのでしょうが、国のため、藩のため、etc. という、公のため(そしてそれが結果として家族のため、自分のため)に『自分がなんとかするしかない、なんとかしてやる!』という気概でまさに命を捧げて自分の信じる道を進んでいます。読んでいてその姿には何度も胸が熱くなります。
翻って、自分はこの当事者意識というのをどれだけ持てているのでしょうか。『この組織はダメだ』とか『この会社はダメだ』とかはたまた『日本はもうオシマイだ』とか言いたくもなります。しかしじゃあ『この組織を・この会社を、オレがなんとかしてやる』とか、はたまた『この日本をオレがなんとかしてやる!汗』みたいな事が言えるでしょうか、いや言えない(反語w)。でも『坂の上の雲』なんかを読んでいると昔の日本の人達はみんながそう思っていただんだな、と感じます。
もちろん迫り来る戦争を前にした状態と今とでは状況は違います。さらに選択肢の幅も昔と今とでは違うはずですなので、必ずしも今いるフィールドで勝負をしなければならないわけではありません。そのため『オレがなんとかしなければ』という以外の選択肢を取ることも可能ではあります。もちろんそういう選択肢を取ることは個人の自由であり、自身で責任をとって行動すれば良いことです。
ですが、自分の場合は、他に選択肢があるという状態を自分がその場で腹を括って勝負しない逃げ道や言い訳にしているように感じることがあります。まあ自分の人生なので好きにすれば良いのですが、それじゃあつまらないですよね。逃げ腰な姿勢で状況を第三者的にに外から眺めているだけでなく、自分の与えられた持ち場で勝負するという当事者意識と覚悟を持って、まずは今の状況で頑張ってみたいと思います!