自身の哲学を反映させる学位論文

今、博士論文を書いています。この論文は、これまで英語で書いてきた学術論文をベースとして、再編集して、日本語で 書き直しています。これが意外と大変なのですよね。。。指導教官の先生にも何度も見て頂いているのですが、その先生から頂いた最も重要なアドバイスは、論文に自分の哲学を反映させろ、というものです。

博士号 (Ph.D.) を英語で表記すると、Doctor of Philosophy となりますが、直訳すると「哲学博士」となります。ここでの哲学とは、人文科学の学問分野としての哲学の意味ではなく、昔の西洋における学問一般の意味ですね。とはいえ、博士号 (Ph.D.) の物事の本質を追求して深く考える、という面では、どんな分野の学位であれ同じであると思います。その意味での『自分の哲学』を論文に反映して欲しいというアドバイスでした。

少なくとも、今まとめている論文に関しては、自分が最も長い間考えてきたことは間違いありません。また少なくとも現時点ではこの論文に関しては、自分が最も詳しいはずです。だからこそ自分が突き詰めて考えてきたことを、論文の中で表現すべきだとのことです。たしかに、自分としては英語の学術論文をそのまま日本語訳して、あまり個人的な考え方などは英語の論文に書いた範囲を超えては書いていません。指導教官の先生からすると、自分の学位論文はその意味で踏み込みが足りず、もっと自分らしさを出すべきだ、というお考えでした。

自然科学の学位論文なので、方法や結果に関しては異なる書き方がそう沢山あるわけではありません。しかし、結果の考察の部分は、その人の背景や考え方、興味関心が大きく反映され、著者により大きく異なってくるということは、自分自身も強く感じます。

実際に、同じ結果を用いて論文を書いたとしても、(少なくとも学術的な評価として)良い論文と悪い論文の両方が書けてしまうことは自分自身も良く理解しています。例えば、自分の書いダメ論文が、自分のメンターに校閲してもらうと全く違う学術的な出来映えの良い論文に変わる事を経験しています。これは自分がネイティブではないので英語が苦手という以前の問題で、その研究分野に対する深い理解とその分野における課題に対してこの論文がどのようにアプローチしているかを明確に提示しているという面でメンターに直してもらった論文は優れているのだと思います。

このような点も踏まえると、学位論文には、自身の研究に関して如何に深く突き詰めて考えてきたかが、透けて出るのだと思います。指導教官の先生のメッセージを自分はそのように解釈しました。と、偉そうに書いたからには、恥ずかしくない出来映えになるように、あともう少し頑張りたいと思います。頑張ります!!


コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です