改めて学位を取得する事の意味について

ついに明日、自分の学位論文の審査会が開かれます。入社して以来、学位が欲しいとは思っていたのですが、本気で取得に取り組み始めた2012年以来、多くのことを犠牲にして、学位の取得のための研究や論文作成に取り組んできました。それが明日で、一応の区切りを迎えます。

もちろん審査に合格したらの条件付きですが (笑)、自分も学位を手にすることができます。これまでずっと欲しかったものをもうすぐ手に入れることができる状態になってるのは、ある意味では嬉しく思います。しかし、以前とは喜びの意味が変わってきている事に気が付きました。当初は学位を取ることは、自分のキャリアにおいて大切であるという意味でした。しかしながら、途中からその意味合いが変わりつつある事に気が付きました。

もちろん、今後のキャリアにおいて「学位を持っておいて良かった」と思える日が来るのかもしれません。だけど一方で、「学位は持ってるのが当たり前で、取ったからといって特別アドバンテージになるわけではない」という事もそのうち分かってきました。それは学生時代から分かっていたことではあるのですが、実際に社会を見るにつれ「学位を持っていたって、食えない者は食えない」ということを(実例を通じて)良く理解できました。

これまでの投稿論文の作成や学位論文の作成に、膨大な時間をかけてきました。(比較的取得が容易な国家資格が取れるぐらいの時間かもしれません)。損得勘定で言えば、もしかしたら別のことをやっていた方がよかったかもしれません。また、もっと楽な学位の取り方もあったのかもしれません(実際にもっと楽に取っている同僚もいますし)。だけど自分は、楽をしませんでした。もっと言えば、茨の道を自ら選んで歩んだと思っています。

それは学位を取ることは、キャリアのためという意味以上に、自分が研究者として研究してきたことを総括し、それを世の中に残しておきたい、という気持ちが強くなったからです。自分がやってきたことの証拠を残したい、という気持ちに近いのかもしれません。そのため、確かに大変な道のりではあったのですが、明確な目的を持って、取り組むことができました。

自分の師でもある海外の同僚や学位論文の主査の先生の影響も強かったかもしれません。二人とも非常に高い基準を要求し、自分としてはそれに何とか応えたいという気持ちで頑張りました。結果として、自分として納得のいく内容で学位の申請が出来た事は、とても嬉しく思います。これもお二人の高い基準のおかげだと思っています。

審査会は、いよいよ明日です。もう既に学位を取得した気になっていますが、まずは明日の審査を通過できるよう頑張りたいと思います。これで最後だと思ってます、頑張ります!!!


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