今日、一通のメールが迷惑メールに分類されている事に気付きました。開いてみると、
Dear XXXX
Thank you for your submission of 24 Jun 2015. We are pleased to inform you thatthe above-mentioned manuscript has been accepted for publication in YYYYYY.
・・・ってことで、ついに論文が通りました。自分が出せたら良いなと思っていた伝統ある格式の高い論文誌に受理されました。『やった~!!』と書いてはみましたが、意外と冷静でした。実際のところ、もっと喜べるのかな、と思っていましたが、そのような飛び上がるような喜びではなく、むしろ無事に通って良かったという安堵感の方が大きく感じています。それに加えて心の底から染み出してくるような静かな喜びを感じていて、少しニヤニヤしています(笑)。
振り返るとこの論文は、今から約二年前、自分がまだ米国にいる頃に着想したアイデアを論文にしたものです。
その時の事をブログで振り返ってみると、新しいアイデアを着想した事にすごく喜んでいる事が分かります(ぬか喜びかもしれない杞憂は残しつつも笑)。時間はかかりましたが、そのアイデアをこのように世の中に出せる形としてまとめることが出来た事に対しては、少し誇らしく思います。仕事をやりながら論文を書いていたので、正直言って進みは非常に遅く、いつ終わるのだろうと絶望していた時期もありました。さらに、論文のために犠牲にしたことや我慢してきたことも多くありました。
しかし今となってはそのような苦労もいい思い出です。着想からの二年間を振り返りながらそんなことを考えていると、『やっと報われた』という気持ちになって来て、また少しだけ静かな喜びが沸き上がってきました。
加えて、この論文は自分の専門性を社内外に対して示していくめの重要な研究業績になりそうな点も嬉しく思っています。自分のような研究者は具体的な製品を生み出すのではなく、生み出すものは新しい概念です。しかもその解釈には高い専門性が必要なため、専門家以外にはなかなか理解してもらえません。今回、このような形で論文に投稿できて、論文誌から価値ありとして認めてもらえたことは、自分の研究成果に対して一定の御墨付きをもらえたようなものだと思っています。
社会人になって以来、自分はずっと創薬研究に携わってきました。残念ながらまだ新薬を創ることは出来ていませんが、創薬に重要な役割を果たす研究成果を世の中に残せたことは、一研究者として本当に嬉しく思い、頑張ってきてよかったと思います。
しかし、これで終わりでは決して無く、まだまだ論文の修正やその他の手続きなどややこしいことはたくさんあります。またこの論文の手続きが終われば次の論文を投稿したいと思っています。となると、全然休んでいる暇はありません。
さらに、いつまでも論文に時間を取られていてはダメです。英語や教養の勉強、ネットワーキング、(最近サボっている)ランニングなど、自分が論文のために犠牲にしていることはたくさんあります。もちろん今後も研究職というキャリアを歩んでいくのであれば論文は必要ですが、それはあくまでも必要条件であり十分ではありません。自分として課題としている点はたくさんあり、それらに対してもっと時間を投じていきたいと思っています。まぁ、とは言え、長いこと頑張ったので、今週末くらいはご褒美でゆっくり休みたいと思います。そしてすぐに切り替えて来週からは次に課題に進んでいきたいと思います。